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tonryu

先日見つけた Tokyo Time Out の東京のラーメン特集が極めて納得感のあるセレクションでした。

東京、平成を代表するラーメン12選
https://www.timeout.jp/tokyo/ja/restaurant/tokyo-heiseiramen

スタイリッシュの麺屋武蔵、ダブルスープの青葉、つけ麺の六厘舎など、「その後の潮流」を作ったブランドが並んでいます。近年の新進気鋭のお店に比べるとインパクトはありませんが、ほとんどのブランドが多店舗展開をしておりそれだけ定番化したという証。元品川区民的には「多賀野」が選ばれているのがうれしいですね。同じ選定基準でここにいくつか足すとすれば「山頭火」「TETSU」「べんてん」あたりを推しておきます。

それにしても、平成って思ったより長い時代だったんですね。ラーメンを通して思い知るのもなんですが。

さてさて、こんなに骨太な特集を読んでしまったので、自分も青春時代であった平成を回顧したくなりました。2018年は京都ラーメンで打線を組みましたが 今年は過ぎゆく平成を回顧させていただきます。それではさっそくいってみましょう!



ラーメンと唐揚げの蜜月

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一乗寺で年越しそば。 唐揚げは来年にお持ち帰り。

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高安(一乗寺)

筆者が大学生の時、一乗寺で一番行列に元気があったお店が1999年スタートの高安でした。
定食のカラッカラに揚がった大ぶりの唐揚げ3個は腹をすかせた学生向けと思いきや、「残りはお持ち帰り」が可能になっていて、ご家庭へのおみやげや夜食や翌日のお弁当のおかずになるという合理的なシステム。京都では唐揚げがないラーメン屋が古くからの地元民に「物足りない」と評価されてしまうのは高安の功罪と言えるのではないでしょうか。もちろんラーメンも個性的でした。サラッとした豚骨スープと柔めの麺をどうしても食べたくなるときがあります。その後、是空@今出川、高安是空@烏丸と店舗を増やし、平成が終わる今も安定して京都ラーメンの代名詞となっています。
(追記:是空と高安是空は2019年1月で閉店してしまいました。。)


京都でラーメンを食べるなら高安株式会社 | 京都でラーメンといえば中華そば高安



「ポスト天一」と言われたスープ


中華そば 東龍(北白川)

2000年スタート。東京より遅れてきた京都ラーメンブームの第一世代(と勝手に言ってる)。
獣系のベースにたっぷりの野菜を煮込んで合わせた黄色いクリーミィな塩スープは当時は相当に斬新で、「あの店行った?」と若者の間で話題になりました。良くも悪くも王道の豚骨醤油のイメージが強かった京都ラーメンに多様性を持ち込んだ功績は大きく、その後、極鶏やキラメキノトリなど、現在の鶏スープの人気店へとつながっていくのであります。ちなみに「ゆで卵ではないこだわりの味玉」「卓上のニラ麻油」も京都では東龍以前にはほとんどありませんでした。その後、一神堂(アサリラーメン好きだったけど閉店)、福仙楼、とバリエーションを増やし今ではもう若くはないかつての学生たちも懐かしながら訪れる定番となりました。

ホーム | 中華そば 東龍 (とんりゅう)



ずっと昔からそこにある錯覚


いいちょ(下鴨本通)

1998年スタート。まだ20年そこそこなことにびっくりするくらい京都の定番ラーメン。ラーメンブームが始まる直前に、第一旭やますたになどの京都クラシカル系のルックアンドフィールを引き継ぎながらも完成形として昇華させたのが「いいちょ」だと筆者は考えています。ひとつひとつのディテイルを見ると、たくさんの豚骨を使いながらスッキリしたスープやシンプルながらも食べごたえのある麺、ペロッといけるバラチャーシューのバランスが取れているからこそのこの安定感。卓上の千切りたくあんをたっぷり添えたやきめしとセットで多幸感が約束されている、そんなお店です。

いいちょラーメン



シーンを作ったエヴェンジェリスト

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棣鄂をわしゃわしゃ食べたくなったので

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しゃかりき(千本丸太町)

2004年スタート。「魚介の風味をしっかり利かせたラーメン」「つけ麺」を京都でも楽しむことができるようになったのはしゃかりきのおかげでした。
20世紀の京都ラーメンは独自の発展を遂げ定番メニューが幅を利かせていましたが、2005年前後発の第二世代(勝手に言ってます^^)以降のお店は、麺都トーキョーのシーンをしっかり研究しながら京都向けにアレンジを繰り返し、僕たちを楽しませてくれています。しゃかりきでは定番メニューに加えていつも限定メニューとして張り出されている新作にチャレンジするのが楽しみ。そしてそのチャレンジにも欠かせなかったのが今や全国区の京都発ブランド麺「棣鄂」の利用。いろんな番手の麺がストックされている冷蔵庫が見える場所に置かれている光景は食べ手の探究心もそそったものです。

京都千丸 麺屋しゃかりき


独自のつけ麺文化をリード

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歩き回ったけどいいの見つからなかったのでとりあえずつけ麺

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高倉二条(高倉二条)

トーキョー発祥のつけ麺を京都が誇るアイデンティティーに完成させてくれたのが2006年発の高倉二条とその系列店の「ろぉじ(閉店)」「すがり」「名前も看板もないラーメン屋」。風味に加えて見た目と喉越しで愉しませてくれる「全粒粉麺」。鉄の器とセルフ温め直しのための電磁プレート(今はやってません)。七味・胡椒・魚粉・山椒などの豊富な卓上調味料。京都つけ麺のパイオニアにして、すでにつけ麺の弱みを克服していたため、京都のつけ麺は「大盛り無料で空腹を満たす男メシ」とは異なるイメージで浸透しました。また、高倉二条はラーメンそのものだけでなく、お店や器や接客などブランド全体の世界観を作るのがとても上手で、その点こそがそれまでの京都ラーメンと比べて「目新し」かったことかもしれません。今でもトーキョーから友人が来た時に連れて行くお店の大本命です。

【公式】京都|麺屋 高倉二条



関西の大学前を席巻、そしてアメリカへ

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小ラーメンニンニク"チョイ"マシ

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ラーメン荘夢を語れ(一乗寺)

二郎の傍流にあたる現・ラーメン富士丸で修行をした滋賀出身の店主が旗揚げしたのが2006年。当時は東京・神奈川にしかなかった二郎がいきなり関が原を超えたということで注目され、またカルチャーフィットできるのか心配もされましたが、一乗寺のある左京区は有数の大学エリアで関東から下宿している学生も多く、ヤサイニンニクカラメアブラの呪文は順調に布教され、優れたスタッフが育ち、二号店、三号点とまたたくまに関西の"大学前"にネットワークが広がっていったのです。驚くことにそのエネルギーは太平洋を超えてハーバード大学のお膝元ボストンでマシマシを成功させてしまいました。本家二郎よりも強いビジョンを掲げ熱いサポーターを集めながら若者の夢をサポートし続けています。

夢を語れ 一乗寺(@yume_ichijyouji)さん | Twitter



番外:次世代へバトンを繋いだ背脂チャッチャ

080517杉千代

【閉店】ラーメン杉千代(太秦)

1999年スタートした杉千代は90年代トーキョーで一世を風靡した「ホープ軒」「弁慶」などの"背脂チャッチャ系"を彷彿とさせた京都ラーメンブームの第一世代(勝手に言ってる)でした。2009年に惜しまれつつ閉店しましたが、先述の東龍と並んで京都で「雑誌で特集されていくラーメン」「話題になって並ぶラーメン」というものを初めて意識させてくれた存在でした。2019年の今食べたらきっと懐かしい感じなんでしょうね。



万人に愛され続けるクリーミー

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今日はMPを消費したのでチャーハンもつけました

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担担(壬生)

2000年スタート。痺れるとか大汗をかくとかではなく、ゴマの香りが強めのまろやかでクリーミーな担々麺で京都の老若男女から愛されるお店。やわっとした麺とミンチと刻み白ネギをレンゲで掬って流し込むのが幸せ。二種類のチャーハンも人気で筆者はここでチャーハンにレタスをたっぷり入れると美味しいことに目覚めました。2018年には公式の烏丸店がオープンしてビジネスマンのアクセスも良くなりました。しっかり仕事をして疲れた夜にチャーハンとセットでお腹を満たしたい一杯です。

京都の担担麺専門店|担担|


麺都からも驚愕された秘境のドロスープ

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三月の白雪 10人超の待ちでした。

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無鉄砲(木津川)

京都と言っても奈良との県境の木津川の国道沿いに2003年オープンした無鉄砲。豚骨の髄まで染み出したドロドロのスープに白雪のような背脂をかけたスープで当初から全国区で好事家の耳目を集めました。中太の縮れ麺はこのスープにめちゃくちゃ絡むのですが、筆者はここのスープで「麺がスープを持ち上げる」という表現を覚えました。比較的早めに大阪大国町や東京江古田に展開し、ラーメンフェスにも出たり、カップラーメンになったりしたので、無鉄砲はドロ系の原点としてしっかりと記憶されています。本店には行ったことないので、ストリートビューで確認したのですが、秘境はおおげさでしたね、すいません。

無鉄砲 【店舗案内】


地元と共生するラーメン求道者


ラーメンにっこう(彦根)

最後はあえてお隣の滋賀から。2005年に彦根でオープンしたラーメンにっこうは「ラーメンさぼりません」をスローガンにラーメン愛好家にも地元のお客さんにも満足を提供する人気店です。毎月10日の豚骨デイや、予想のつかない角度から編み出される限定メニュー、棣鄂麺と併用しつつ日夜スタッフよって研究されているという自家製麺を使ったメニュー、滋賀でここだけ?京都醸造のクラフトビールなど、東京の意識高いラーメン店よりもハイペースなチャレンジとサービスを、アットホームなブランドで提供しているラーメンにっこう。メニューにはレギュラーメニューが5種あって初訪ではとても迷うのですが「おすすめはない。お客さんが食べたいものを選んでほしい」というところにも、過当競争の中で尖ってナンボな麺都トーキョーとは違った、コンセプトが感じられます。(筆者からはラーメン好き諸兄には「柚子白湯つけ麺」をおすすめします!)

滋賀県彦根市のラーメンにっこうは、鶏白湯・日香麺といった定番ラーメンから、柚子白湯(つけ麺)や月替わりの創作ラーメンまで提供




以上、筆者が選ぶ平成の京都ラーメン10選(+番外)でした。



付録)京都ラーメン店の創業年を調べてみた

最後に、この記事を書きながら平成に限らず京都のラーメン店有名どころの創業年を調べてメモったものを貼っておきます。こうやって見ると、2011年に第3世代(勝手に言ってる)の波がありそうです。また、発見としては天一よりも彩華(奈良県)の方が古かったんですね!そして最古のお店は・・・アソコかアソコかな〜とみなさんが想像するうちのアソコでした(笑)

なお、お店の公式サイト、または、食べログの店舗情報欄を参照しています。誤りがあれば訂正しますのでご指摘くださいm(_ _)m


猪一 2013年
セブラノ神 2013年
キラメキノトリ 2013年
たか松 2011年
拳ラーメン 2011年
極鶏 2011年
たけ井 2011
チャクリキ 2008年
久保田 2007年
紫蔵 2007年
あきひで 2005年
あかつき 1994年
大豊ラーメン 1993年
----- ここまで平成 --------
長浜ラーメンみよし 1983年
親爺 1976年
一番星 1975年
ラーメン横綱 1972年
天下一品 1971年
天天有 1971年
彩華ラーメン 1968年
珍遊 1950年
ますたに 1948年
タンポポ 1947年
第一旭 1947年
サカイ 1939年
新福菜館 1938年


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