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2011年、たぶん東日本大震災のあとの東京での混乱が落ち着いてきた頃、当時の勤め先でのとある会議でのディスカッションがとても刺激的であったことを思い出しました。

その会議のテーマはざっくり言うと「ソーシャルダッシュボード」的なものでした。当時すでに市民権を得ていたTwitter、いよいよに存在感を増していたFacebook、純国産SNSのmixiの御三家はもちろん、モバイル時代の到来の波に乗ってネット上に大小さまざまな、「フォロー」「お友達」でユーザーアカウント同士がつながる「ソーシャルグラフ」が無秩序にに生まれていた2011年にあって、その会議では、ネットユーザーが自分が関わっている"ソーシャルネットワーク"を各SNSからは独立した場所で統合管理することの可能性について考えていました。また、「ID」「つながり」だけではなく行動履歴をも横断管理することでネット上での個人の「信用」の可視化もできるかもしれない、そんな可能性も話していたように記憶しています。

ただ結局はその会議から具体的なアウトプットを出すことは叶わなかったので、そのディスカッションは単なる思考実験に終わりました。

時は流れその後今日まで、そのようなサービスはまだ現れることなく(≒必要とされることもなく)、林立していたソーシャルグラフの淘汰と収束が進んだ結果として、寡占プラットフォームのIDによる「ソーシャルログイン」が、ユーザーの利便性を満たす機能として市民権を得た形になっています。




さて、2018年5月25日、EUによるGDPR(General Data Protection Regulation)が施行されました。

本書は「新たな西部」の対等に退治するEUに立ち位置や、喫緊の世界情勢の中で漂流する個人(データ)、アルゴリズムに支配される世界など、GDPRに刻印されたEUの生き様とインターネットの再構築に焦点を合わせている。そのため欧州が抱えてきた「歴史のプライバシー」にも踏み込んだ。本書が世の中に出始めたGDPR解説本と異なる様相を呈しているのはそのためである。
(231P おわりに)

当書はAGFA(Apple, Google, Facebook, Amazon)に代表される巨大インターネット企業が、利用者から蓄積した個人データを使って利益(広告利用)を得ていることに、異を唱えて対抗しようとするEUの視点から書かれています。

次のグーグルやフェイスブックを再構築するのではなく、代わりに現状のグーグルやフェイスブックの代替サービスを分散型インフラストラクチャに転移すれば、GDPRに完全準拠するソーシャルネットワークが生まれるかもしれない。2025年までに、欧州委員会は現状の「壊れたインターネット」を廃棄し、より民主的で包括的な回復力に焦点を合わせたインターネットを再構築する。この野心的な新フラッグシップ・プログラムが次世代インターネット・イニシアチブである。
( 191P あとがき)

GDPRの定める権利のひとつに、データポータビリティ権があります。かいつまんで言うとデータポータビリティとは、あるサービスが収集・蓄積した個人データを、ユーザー個人の意志で取り出して、他のサービスでも利用することができる権利のこと。

2035年には、大多数の人々が独自の個人情報ポータルを持つだろう。それらは事実上、自宅に置かれている小さなサーバー、または自分の個人情報をすべて格納している安全な場所だ。これにより、このデータの使用方法を自ら制御できるのだ
(151P「新たな西部」vs欧州委員会 - DECODEの挑戦)

欧州委員会ではデータポータビリティの受け皿となる、個人が個人データの所有権を持ち管理ができるようにするための仕組みを研究開発するために、DECODE(分散型市民所有データ・エコシステム)と呼ばれるプロジェクトを進めているそうです。

DECODEプロジェクトは、インターネット経済の原資である個人データをユーザーの自己主権と企業の公正利用の両立という観点で捉えている。GDPRの発効により、世界一厳しい個人データやプライバシー保護の環境が整うことはデジタル経済の足かせではない。GDPRがめざすインターネット第二幕とは、バーロウの「サイバースペース独立宣言」に先立つ1995年段階にインターネットをリセットすることだ。
これにより、EU/EEA域内、世界のプライバシーフレンドリー企業や個人データ経済のイノベーターたちを後押しする環境が創出される。これこそが、GDPRの意義となる。その中で、現在のGDPRの法的制限を超えて、将来の個人データ経済の柔軟で具体的な方向性を操舵するパイロットプロジェクトがDECODEであり、今後2年間で個人データ経済の重要な見取り図が示されることが期待されている。
(156P 新たな西部」vs欧州委員会 - DECODEの挑戦)

GDPRは、米国のIT大企業からプライバシー保護をデフォルトとする欧州や世界の企業が主導する世界を取り戻すための最初の狼煙として、個人が個人の責任と判断で個人データをハンドリングできる文化というか「新しい常識」の地盤を形作ろうとしている、という大局が本書を読んで理解できました。




当書を読んでまず興味をひいた対立構図は、優秀なテック企業たちが大量のデータを集め、それを解析してアルゴリズムを生み出すことが、止めることのできないテクノロジーの進歩、ひいては人類の未来と信じられている時代において、GDPRを擁する欧州はすべての個人データをユーザーの所有およびコントロール下に移動(あえて「取り戻す」とは言いません)させることを目的としていることです。

もちろん、そう強いる時代背景として、Facebookの個人データ取扱いに関わる疑惑、フェイクニュース、追跡型広告への不信の募り、、などなどいろんな要因が挙げられているわけですが、インターネットが始まってから信奉されてきた「テクノロジーが進化した後ろに道はできる」という抗えない価値観に対して初めて「文化的(not テクノロジー)」な提案がなされたことに、インターネットもついに歴史を帯びた(本書内では「インターネット第二幕」)という感慨があります。

オーウェルは、監視社会の抑圧によってわたしたちが粗廃されると警告した。しかしハクスリーには、人々の自主性や創造性を奪うビッグブラザーは必要ではなかった。ハクスリーは、人々が関しや洗脳を愛するようになり、人間の思考能力を奪い取る「技術」を崇拝する世界を描いた。この「すばらしい新世界」こそが、底知れぬ恐怖であることをポストマンは後世に伝えた。
(224P 「すばらしい新世界」)

アルゴリズムで監視され、解析される個人データは、元のシンプルなデータではなく、ビッグデータを構成する一部となる。「わたし」は常に追いかけられる代わりに、正確なリコメンドやアシスタントが提供される。多くの人は、今便利で愉快な世界に恐怖を抱くことはない。
(228P 「すばらしい新世界」)


データ大企業に身を委ねきってしまうことでテクノロジー進化に貢献する便利な未来と、個人データを自分の管理責任のもとで運用することが義務付けられた透明性の高い未来。はたして、どちらの未来が、自分にとって「心地の良い未来」なのか。

いづれを選ぶことになるとしても、ことまだ個人データに関わる諸問題に対する意識が低い日本においては、大多数の一般市民に訴えて判断を促すためには、まだまだ理解とリテラシーが追いつかない問題でもあると感じます。

そして正直に言うと、「個人データ管理のためだけに作られたサービスやプロダクト」、しかもDECODEのように政府や公共主導で作られたものが、圧倒的な支持をうけて普及する想像があまりできません。なぜなら、圧倒的な便利性や今までになかった新しい価値観に惹かれる引力のみが、マジョリティ規模の利用者を獲得することができるのだと、ここまでのインターネットの歩みが教えてくれるからです。

データポータビリティという「理念」とそれを実現するためにも国家や行政主導でつくられた「箱」が、テクノロジーの進化の不可逆な流れを原動力としていたこれまでのインターネットを再構築することは、相当な偉業であると思わずにいられません。




しかし一方で、本書を最初から最後まで読むと、そういった近視的な常識をひっくりかえすほどのムーブメントを興すことができるのが唯一、EU(ヨーロッパ)の知恵と歴史と意志と行動力、なのかもしれないという期待感も抱くことができます。

人類の歴史をほんの2,30年ではなく数百年レベルの物差しで見たときの、文明的主導権の移動がいまGDPRを契機に始まろうとしているのであれば、それは、「多様性」というものにすがりつつ、日本のいち地方都市に生活している自分にとっては「意外と楽しめる」時代なのかもしれないとも思うのでした。

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